昔の文章を掘り返す【2004年02月03日記 現代中国ポップカルチャーの誕生 〜於あじびホール(福岡アジア美術館)】

1/31に福岡であった「現代中国ポップカルチャーの誕生」という講演会に行ってきました。
非常に中身の濃いマニアックな内容でありました。

中国に2年すんで、さらに1年たって再び訪れて、びっくりする。
この国は1年と言う時間の何倍も早いスピードで突っ走っている。
本当についていけるのか・・・

この答えを問い続ける、映像作家が賈樟柯である。
「プラットホーム」の舞台は80年代。
それは、改革・開放政策がはじまり、外国(香港・台湾を特にただし書きしておこう)からの
ポップカルチャーが都会を急速に広まっていったそのとき、地方都市である山西省の小さな街で、
何が変わっていき、何が残っていくのかを綴った物語である。

ラッパズボンを、わけもわからぬ母親に作らせてみるも、変なズボンと嫌がられたりとか、
初めてのパーマに失敗してみたりとか、時代の最先端を目指しての若者達の青春群像である。

なるほど、これを見れば納得するのである。
講演した、ふるまいさんの言葉を借りる。
「80年代の中国は、青春真っ盛りだったのだ。」

ただ、僕は、この10年間の過程が、あまりにも急であること、
そして、本当のポップカルチャーの判断基準がなにもなく、
押し寄せる西欧・日本の文化の波に、のまれてしまったのではないかと思うのだ。

たしかに、一度に押しよせてくる、ポップカルチャー達をいちいち判断する基準などはなかっただろうし、
盛り上がってしまったものに、けちをつける必要はない。
大部分はこれにあたるのではなかろうか。
そのスピードはあまりにも速すぎた。

結果、今の中国には3つの世界ができたと思う。
一つは、大都市圏の最先端のカルチャー都市。世界中のありとあらゆる文化が混在し、今でも増幅し続ける。
次は、地方都市など、大都市圏を模倣した世界。つまり、10年前の世界。
そして、20年間変わらず、時間をはぐくんできた田舎の世界。
賈樟柯の描く世界はどっちつかずの地方都市。
だからこそ、見えてくる人々の本当の姿かもしれない。

もう一人の講演者、顔峻は80年代を映画の主人公たちと同じように過ごした人物である。
彼曰く、「ポップカルチャーの波を受け止める側には、実は二つの者があったように思う。
一つは希望、つまり好意的に受け止める側。もう一方は、痛苦的な受けとらえ方をするものだった。」

皆で波に乗っていた、80年代を過ごしたなら、
なぜ今でもアンダーグラウンドの世界がありえるのか。

この世間的な盛り上がりと一線を欠き、輪を乱すものという、
文化大革命で味わった疎外感・罪悪感を味わった者がいるに違いない。
その衝動を、文革時代は押さえ込むしかなかったのだが、
改革・開放政策下では、エネルギーを発散することができた。

中国とは、よいもの、ダメなものがいつの時代もはっきりする。
たまたま、時代の波にのれず、間違ったものへ情熱を傾けてしまった者たちは・・・
この映画ではその、ささやかな試みも青春の1ページとして刻まれるくらいであろう。
ただ、アンダーグラウンドの世界に生きていくしかなくなってしまったら・・・
89年に起こったことは、果たして、起こるべくしてのことだったのだろうか。

10年経って、20年前の排除されるべき文化はポップカルチャーと成しえた。
しかし、一方で”痛苦的な受けとらえ方”をしたもの達は、やはり、排除の対象なのだろうか。
今でもはっきりと残るアンダーグラウンドの世界は、いつかエンターテイメントへと昇華するのだろうか。
彼らの価値観はいつまでも認知されることはないのだろうか。