昔の文章を掘り返す【2005年05月25日記 後革命時代】

『後革命時代』という記録映画があります。これは、弟:張揚と姉:羅拉の二人が約5年にわたり北京のアンダーグラウンドロックシーンを撮り続けたもので、極めてリアルな青春群像なのです。

僕は、2000年2月から2002年2月まで、約2年間、北京のさまざまなロックシーンを見続けてきました。もちろん、カメラをまわす、張揚・羅拉の姿も何度となく眼にしてきましたし、隣にいることもありました。だから、この鏡頭は、もしかしたら僕の眼に直結しているといっても過言ではありません。

僕の脳裏にすべての記憶が蘇って来たとき、当時の僕はこの瞬間たちすべてに泣いていたのかもしれないと思いました。眼に焼きつけようと、すでに覚悟していたのです。事実、これらの映像は時間の流れに逆らわず過ぎ去ったものであり、二度と戻ってこない「時代」なのです。この事実を覚悟していたはずの僕は、無理難題をどうしても自分につきつけてしまいます。あの時に戻りたい、と。

おそらく、映像に出てくる本人たちは、「こんなことやってたな〜」くらいのクールさで見ていることに間違いない。感慨にふけるよりは、今、そして、これからの享楽に思いを馳せてるはずだからである。だから、これらの映像にでてくるバンドたち、観客は極めて明るいのである。本当に、良い顔をしているのです。結論、僕はこの一つ一つの良い顔に、ありがとうの思いを込めて泣いてるのです。

まあ、ちょっと馬鹿にされそうなくらいオセンチですが、この「時代」の生き証人になる資格は有しているつもりです。この記録映画を万が一、鑑賞される方のガイダンスになるような文章を書こうと、決めました。僕は、いつでも泣けますので、泣きたいときに好きなだけ泣きます。

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2000年〜2001年くらいの北京ロックのアングラシーンは、真っ二つといっていいほど、ハードコアとパンクに分類されていました。そのなかで、ハードコア一派は、バンド間、極めてつながりが深く、言うならば皆、共倒れ的に貧乏だった。北京の市内からはかなり離れたところに、「樹村」という地域があり、ここは、通称「ロック村」といわれている。いくつかのバンドがここに住み着き、部屋を改造しバンドの練習場所も兼ね、共同生活をしていた。このとき意気盛んだったハードコアバンドは、夜叉、Twisted Machine、痛苦的信仰、病蛹などである。毎週のようにライブハウスではハードコアバンドがライブを重ねていた。演者も観客も皆熱狂し、ステージの境はいつも存在していなかった。少ないギャラを全部酒につぎ込み、朝まで宴は続くのであった。そして、陽が昇り明るくなると、現実の世界に舞い戻り、樹村で慎ましく生活を送りながら、次なるロック精神を養うのである。

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北京のロックアーティストには、音楽に限らず多彩な才能を持つものが多い。ちょうど、この時期くらいから、前衛的なパフォーマンスを伴ったライブをするバンドが芽生えていた。今作では、美好薬店のボーカルである、小河の前衛行為ライブが収録されている。小河は真っ裸に消火器を抱え、自慰行為をしている。その横には、巨大な壊れかけの水槽が放置してある、見ると水着の女性が、一人戯れている。汚らしい水槽の中で、金魚たちは何事もないかのように泳ぎ続ける。

黒縁眼鏡、黒下着をつけた嬢が二人いる。壁一面に張られた「封」の赤字、お札と見たらよいのか、これを水槽に放り込む。ただ、ひたすらに放り込む。水槽内の女性はお札とも戯れ続け、自己の世界に陶酔しきる。のち、水槽に入ってきた小河は消火器を抱えたまま眼を閉じ、瞑想に入る。

バックのバンドマンは皆、裸で、体中に空き弁当箱と割り箸を貼り付けたものを簡易的な衣装となし演奏していた。美好薬店はこの当時はフュージョン系を得意とするバンドだった。一切の行為において、観客と演者の距離はない。お札を入れる者もいれば、踊り狂う者もいる、なんとも不整合な空間演出である。極めてアヴァンギャルトだ。

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迷笛現代音楽節は2000年に創設された、中国国内のアンダーグラウンドロックの祭典である。いわゆるロックフェスと呼ばれる類のものがついに北京で開かれるようになったのだ。2001年までは、迷笛音楽学校にある、室内のステージで行われていたが、2002年からは、屋外に巨大なステージを設けて開催されるようになり、海外からもアーティストが招聘されるようにもなった。

僕が体験したのは2001年の、ちっちゃい会場で行われていたときの迷笛現代音楽節である。2日間で40バンド以上が参加した。正直、音楽学校の学園祭の域を超えないレベルのバンドが大半だったが、なにより、北京ロック特有の雰囲気が最大限味わえる素敵なフェスだった。

たった一つしかないステージには、観客と演者の区別などない。この日伝説を作ったバンドがAK-47である。機材に全く慣れていないこのデジタルハードコアバンドはセッティングに2時間も要す。やっとのことで始まったライブでは、観客の中から歌いたい奴がマイク奪って歌いまくってしまう、怒ったボーカルとは本気の殴り合い、さらに観客のところへ飛び降りていき、数人と頭突きで感情をぶつけあう。ライブ終了後、見かけた光景はその当事者たちと熱き抱擁を交わすシーン。なんて、ハードコアなんだ!

忘れてはいけないことがある。この日、ある日本人ヤオグン労働者が縦横無尽に働いていたことを、かれなくしてはこのフェスはなかった。さらに、彼の粋な計らいは、私産を叩いてペンキを購入、これを用いて、迷笛音楽学校は一面ポップアートのキャンバスになった。壁という壁、バンドロゴやイラストであっという間にいっぱいになった。手作りフェスの醍醐味ここにあり!

何より忘れてならないのは、ビールが無料だったこと!こんな素敵なフェスあるかい?

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この映画における全部のことを書くとなると、とてもじゃないけど書ききれません。この記録たちを見るにあたってのガイダンスのつもりで書いてきたけど、やはり主観的な感想にしかならなかった、まあ、仕方ない。僕にはあまりにも密接してる、自分の記憶なんだから。いつでも泣ける映像があるって、羨ましいことかもしれない、そして何よりの宝物でもある。

僕は、心から、良い時代をありがとう、と、言うのである。