昔の文章を掘り返す【2003/11/26 (Wed) 回顧 :日本インディペンデント映画祭】

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 日本インディペンデント映画祭
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日時:2001年6月18日〜24日

場所:北京電影学院

出品作(上映順)

ユメノ銀河(石井聰互)
カリスマ(黒沢清
トカレフ阪本順治
Helpless(青山真治
2/デュオ(諏訪敦彦) 
バレッドバレエ(塚本晋也) 
ナビィの恋中江裕司
渚のシンドバント(橋口亮輔
アドレナリン・ドライブ(矢口史靖
アンラッキー・モンキー(SABU
SFサムライフィクション(中野裕之
漂流街(三池崇史
水の中の八月(石井聰互)
ひみつの花園矢口史靖
2H(李纓
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今思えば大それた名前。もう2年も経ったし、皆良い思いでになってるだろうし、ネタバレありで、回顧録など綴ろうではないか。とにかく、この映画祭はいろんなところで、影響はあったと思う。ま、海賊版業者が一番恩恵に与ったはずだ・・・

そもそも、僕はこの企画に途中参加した者だから、ハッキリいって、美味しいところ取りだった。あり得なかったよ、こんな映画祭。日本からのティーチインに黒沢清。シンポジウムにはプロデューサーの仙頭武則。中国からは張元。ピーター・ロア。日中のインディペンデントで活躍する映画関係者が一同に会し、触れ合える貴重な機会でした。

やはり、この映画祭の存在は大きい。一般に知られる上での日本の映画は、一昔前は黒沢。今なら北野か岩井。いや、もちろん、映画学校にいるくらいだから日本の映画はそれだけじゃないってのはわかってる。でも、観ることができない。そんな状態だから、90年代の日本のインディペンデント映画をこんなにたくさん見ることが出来るのはすごいことだと思う。

実情として、作家を選び、フィルムの手配がうまくいっただの、中国内での上映を考慮してだの、いろいろ妥協して集めたら、この上映作になったらしい。僕はこの選考後に参加したので、とやかくいう資格がないのだが、なかなかの選考ではないだろうかと思う。

石井聰互など2作品だし、諏訪敦彦橋口亮輔のラインナップなんてのも非常に意義有るし、インディペンデントの申し子、塚本晋也もあるし、これは充分日本のインディペンデントたるやが伝わると思う。

ここで、上映作でネタバレするなら、本当は「Helpless」じゃなくて、「ユリイカ」が良かった、とか、本当は「アンラッキー・モンキー」じゃなくで、「MONDAY」がよかったとか、まいろいろあったらしい。

しかし、中国でいかに映画を上映するというのがむづかしいのか、嫌という程知らされた。ここらへんの攻防は僕らみたいな凡人が携わるのは到底あり得ないことで、上のほうの機関で、ただ、ダメかOKをもらうだけだった。結構、振り回されたみたいです。

上映作のなかで、僕が担当したのは、「ナビィの恋」と「漂流街」でした。草案の段階の翻訳をしました。プロに預けたとはいえ、2時間くらいの映画を2本、訳しましたよ。

「ナビィ」って沖縄方言で「鍋」なのね、だからそのまま訳したら「鍋之恋」。ね、撥音も'Guo'になってしまうし、だから、日本サイドから注文があって、ナビィは音訳でと、どうしよう、勝手に音訳して良いのかなあと、思いつきで「那比(Nabi)」。でも、採用してくれまいたよ。これが、嬉しかったですね。

あと、一番の重責を担ったのが、フィルムの管理です。理由は簡単で、一人部屋で、一度に15本のフィルムを置ける部屋が僕の部屋しかなかったんですね。僕は約10日間、1000万円以上する、段ボール箱と寝てたわけです。タバコは部屋で吸うなと言われました。当たり前ですね。

あと、この映画で大きな価値を僕が見い出したのは、「渚のシンドバント」を上映することができたことである。中国国内の同性愛事情は、くしくもゲスト参加した張元の「東宮西宮」で知っていた。発禁処分になるほど、きつい待遇を受けた映画で、やはり、ゲイ映画に対しては、国内では極めて閉鎖的で差別を受ける世界なのではないかと思っていたので、映画観賞後にかなり、反発を食らうのではないかと思ったのだ。しかし、思いのほか、好評価を得て、感想等を観ても、同性愛への偏見が「東宮西宮」の時代(90年初頭と勝手にしておく)とは変わってきているのかなあと思えるきっかけになった。この時の体験が、卒論で同性愛映画をテーマにするきっかけの一つになった。

あと、上映作で評価が高かったのは、「ナビィの恋」、「カリスマ」、「ユメノ銀河」くらいであろうか。会場内の拍手の度合いで反応を感じたのがこれくらいである。

「カリスマ」上映後の黒沢監督のティーチインでは、熱い質問が飛び出し、それにちゃんとひとつひとつ答える黒澤監督のお話がとても、深くこの作品への懐疑心がますます、深くなった。(まあ、これは、その夜の何気ない監督の話でヒントみたいなのをもらって、解決しなくていいということがわかったから、クリアになったけど)なにはともあれ、本当に意義の在る映画祭になりました。